現在【わたし、定時で帰ります】で、賤ケ岳八重役で出演されいる女優の内田有紀さんに今回はスポットを当ててみたいと思います
吉岡義隆さんとの離婚後、復帰されドラマや映画にと活躍されていますが、気になるお二人の子供はいるのか?という真相や内田さんの生い立ちなどについて調べましたので
最後までご覧ください
内田有紀のプロフィール
名前 内田有紀(うちだゆき)
出身地 東京都中央区日本橋
生年月日 1975年11月16日
身長 165cm
出身校 藤村女子高等学校中退
趣味 短歌 川柳・小説執筆 格闘技観戦
略歴
94年(19歳)ドラマ「時をかける少女」主演。
98年(23歳)映画「BEAT」主演。
02年(27歳)ドラマ「北の国から2002遺言」出演。
※他の主な出演など:
舞台 「月が地球にKISSをする」
映画 「花より男子」「踊る大捜査線 THE MOVIE3」「ばかもの」
ドラマ「半熟卵」「ひとつ屋根の下」「ドクターX 外科医 大門未知子」
CM 「ロッテ」「エプソン カラリオ」「武富士」
楽曲 「TENCAを取ろう! 内田の野望」「明日は明日の風が吹く」
内田有紀の元旦那は吉岡秀隆!
内田有紀さんの元旦那は、今や日本を代表する俳優の吉岡秀隆さんです
お二人は、2002年に結婚しました、写真は、富良野プリンスホテルで行われた結婚式のものです
結婚後内田さんは、吉岡さんを支え温かい家庭を築く為引退します
因みに、二人が式を挙げた富良野プリンスホテルはこちら↓
住所: 北海道富良野市北の峰町18−6 地図はこちら↓
自然豊かな、とても良い所なので、一度是非、寄ってみてはいかがでしょうか
二人の馴れ初めは【北の国から】
お二人の馴れ初めは、吉岡さんの代名詞である、名ドラマ【北の国から】での共演がきっかけとの事です
2002年の「北の国から〜2002遺言〜」で吉岡さんの恋人役を演じたのが、後に妻となる内田さんだったのです
しかも、二人は撮影中に役柄と同じ、本当の恋人同士になっていて、更に吉岡さんがプロポーズをしたとの事でビックリですよね
プロポーズについて吉岡は、言葉こそ明かさなかったが、撮影中にはすでにしていたことをほのめかした。内田も、「作品の中で結ばれるので一生懸命彼のことを見てきて、役というより、気が付いたら…」と振り返った。2人はドラマの役を超えて愛情を育んだことを強調していた
内田さんの、ドラマ内での迫真の演技は、もしかしたら、これが芸能界での最後の作品になるとの想いで、望まれた結果、素晴らしい二人の世界を作ったのかもしれませんね
二人の子供は?名前は?ダウン症?
結論から言いますと、内田さんには子供はいませんので、当然名前もありません
ダウン症についても、芸能人の子供と検索するとよくでるワードでありますが、お二人には子供がいませんので全く関係ありません
内田さんは結婚後、旦那の吉岡さんが望んだように専業主婦になりました
子供を持ち幸せな結婚生活を夢見ていた内田さんですが、3年間の結婚生活でお二人の子供を授かることはありませんでした
二人の離婚原因は?
お二人は、結婚から約3年後の2005年に離婚を発表しました
離婚原因は、芸能人同士の夫婦でよくある浮気や不倫とは別の問題だったと言われています
その原因がこちら↓
関係者によると、「吉岡さんは、映画やドラマの仕事で家を空けることが多かった。彼はその間、有紀さんがしっかり家を守ってくれることを期待していたのですが、彼女がその孤独に耐えられなかったようです…」と夫婦で過ごす時間が減ったことが、関係の冷えた理由と説明する。
そして、内田さんは、以下のような行動をしたそうです
ドラマや映画の主演作が続き多忙を極める吉岡秀隆とのすれ違いに耐えきれなくなった内田有紀が離婚を切り出したのだとか。11月には書き置きを残して内田有紀が家を出てしまったそうである
この離婚騒動には、あの、「北の国から」の脚本家倉本聰さんが二人の離婚について言及しています
倉本聰が各紙にコメントを寄せているなりが、「ヒデ(=吉岡秀隆)は何が悪いのかいまだに理由が分からなく、かなり落ち込んでいた」ようなりよ。また、11月には夫妻と共に食事をしたようですが、その時には「(離婚の)気配は全くなかった。ヒデは(内田の家出を)僕と同じくらいびっくりしたと思う」と語っている
実は、倉本聰さんは、お二人の結婚式をプロデュースしたそうで、やはり小さい頃から吉岡さんを見ているので半ば親心として複雑な心境だったのでしょうね
内田有紀の子供の頃の壮絶な生い立ちとは?
離婚の理由に吉岡さんとのすれ違いにより”孤独に耐えられなかった”と言われていますが、その訳は、内田さんの複雑な生い立ちに関係するところが根強いのではないかと推測されます
内田さんは東京都港区平尾に生まれ家庭は裕福で不自由ない生活だったようですが、小学2年生の時に両親が離婚しそこから、父親・母親・祖父母の家を転々とする生活が始まったそうです
中学時代は祖父母に育てられ父方の祖父母といる時は母親の悪口を聞かされ、母親の祖父母といる時は父親の悪口を聞かされる中、しだいに孤立し孤独感に苛まれようになっていたようです
高校からは一人で暮らし、芸能活動をする中で自立し徐々に孤独から開放された模様です
このような過去がある内田さんが思い描く理想の家庭生活が吉岡さんと実現できなかった事は、とても残念ですが、まだこれからチャンスは本人が望むのであれば必ず訪れると思います
最後まで読んでいただきありがとうございます
今後、益々のご活躍期待しております
内田有紀の元夫・吉岡秀隆に関する記事はこちら↓
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