松本人志が兄と慕う大崎会長とは?裏社会からの圧力に屈しなかった?

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特殊詐欺グループとの間に闇営業を行った問題から吉本興業のお家騒動へと変わっていっている現状の中で、最も影響力があるダウンダウンの松本人志さんが、兄と慕う大崎会長とは、

一体どのような人物なのか、詳しく調べましたので、最後までご覧ください

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松本人志が兄と慕う大崎会長について

ダウンダウンを育てたと言われている大崎会長と、松本人志さんとの間にはとても強い絆で結ばれている関係であります

松本人志さんが兄と慕う、大崎会長とは一体どのような人物なのか

大崎会長がダウンダウンをスターにした?

大崎会長は、NSC(吉本総合芸能学院)開校時にダウンタウンの担当社員となり、無名時代の2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを叩き込んだと言われています

 ※ダウンタウンはNSCの1期生(1982年入学)同期:(ハイヒール、トミーズ)

卒業後、ダウンタウンは関西地区で伝説の番組となった『4時ですよ〜だ』(1987年4月6日~1989年9月29日毎日放送)でメイン司会として出演し絶大な人気を誇り若手のお笑いスターになったのです

この番組でスターになったダウンタウンをメイン司会に抜擢したのが、何を隠そう当時プロデューサーであった大崎会長だったのです

今では考えられないが、『4時ですよ〜だ』の最終回、あのダウンタウンが人目も憚らず泣きじゃくっていたのは有名な出来事です(笑)

その時の様子がこちら↓(松ちゃん)

そして、浜ちゃん

さすがにお二人とも若いですね!

大崎会長がダウンタウンを東京進出させた?

大阪で天下をとったダウンタウンは東京進出を果たすのですが、松ちゃんは当時行きたくなかったようで、無理やり移住させられたと、番組内でよくネタのように語っています(笑)

松本人志は、「大阪で満足していたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた

その、松ちゃんの重い腰を動かした人物こそ、大崎会長であります

先日も、東京進出時の様子を番組で語っていましたが、事務所は東京赤坂のワンルームマンションで、部屋の中は、ホワイトボードと黒電話2個から、大崎会長とスタートしたそうです

大阪では冠番組をいくつも持っていたダウンタウンだったが、東京での仕事はとても厳しかったようです

2016年放送「ダウンタウンなう」でゲストの宮根誠司さんが、東京進出直後のダウンタウンの様子を以下のように語っていました

宮根氏「ついにダウンタウン行ったか、東京に!」という心境だった

しかし進出直後のダウンタウンが担当していたのはクイズ番組のゲスト回答者や、ロケのリポーターなど。宮根氏は「なんや? ダウンタウンってこんな扱いなん」と衝撃を受けたそうだ。

さらに「欽ドン!ハッケヨ~イ笑った!」(フジテレビ系)では、着ぐるみをつけて相撲までやっていたとのこと

これに対して、松ちゃんは

松本人志は「俺らはいいんですけど、大阪の人が観たら『そう思ってるやろうな~』とは思いました」といい、関西の視聴者の抱く違和感を予期していたことを明かした。

そんな状況を打開する為ダウンタウンと大崎会長は以下のような、作戦で突破を考えたのです

当時について松本は「キツいときありましたよ」と認める。そこで「まず『浜田(雅功)が前に出てガンガン行ってくれたら、後で俺が全部拾っていくよ』っていうやり方に変えた」という

すると浜田がパネラーとして出演し、故逸見政孝さんの頭を叩くなどバラエティ番組で大暴れ浜田が大御所にも臆することなく暴れまわる姿が関東の番組でも認知されるようになっていき、仕事が軌道に乗り始めたようだ

東京で生き残っていく為に必死に考え・体当たりした結果が、現在のダウンタウンのスタイルになったのですね

それにしても当時のダウンタウンは、現在の加藤浩次を遥かに凌ぐ狂犬ぶりでしたからね(笑)

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大崎会長と交わしたプールでの約束とは?

松本さんと大崎会長とのエピソードとして有名な話が、売れない時代交わしたプールでの約束があります

1980年代、まだ松本が20歳頃、松本も大崎も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯等によく行っていた。

ある日、大崎が広いスポーツジムの25メートルプールで突然「俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら、これから先お前がどんだけ売れても、俺の言うこと1つだけ聞いてくれ」と言った。

お互いこの業界で成功しそうにないと思っていた松本は「いいですけど」と答え、大崎は本当に潜水してみせた。その20年後、本当に売れた

松本は「1つだけって、なに言われるんやろ? 断ったろ思ってんねんけど」とネタにする。しかし更にその後に松本が頑として首を縦に振らなかった出来事があった時に

あのときのプールの約束、今使うわ」と大崎が言うと松本は「こんなときにですか…」と言いつつ「わかりました」と苦笑しながら了承した

大崎会長が20年後に要求し、松ちゃんが了承した事とは

俺禁煙するから、おまえも禁煙しよう

ヘビースモーカーだった松本さんの健康を気遣ったとされています

松本さんが禁煙したのが、約束を交わした20年後の40歳だったので辻褄が合います

心温まる良いエピソードですね

ダウンタウンを裏社会から守ってきた?

闇営業で反社会的組織から金銭の授与があり、問題になっている吉本興業ですが、実は日本一の指定暴力団【山口組】との関係は明治期から関係があったのは歴史的事実です

現在、組織同士のつながりはないとは言え、100年のよしみから個人的な付き合いに発展したと言えば引退した島田紳助さんが有名ですよね

そんな歴史的背景がある吉本興業ですので、当然個人的に近づいてくる人は多かったようです

それはダウンタウンにも例外ではなかったようで人気絶頂だった当時、はっきりと裏社会だとわかる人達から頻繁にオファーの電話が掛かってきたそうですが

大崎会長は、当然全て断っていたとの事です、ある時は実際に会って相手が納得するまで、粘り強く対応をしたと言われています

それだけに、島田紳助さんの件や今回の件に関しても悔しかったと思われます

大崎会長のプロフィール

・名前:大﨑洋(おおさきひろし)
・生年月日:1953年7月28日
・出身地:大阪府堺市
・出身大学:関西大学
・出身高校:大坂府立泉北高校
・職業:プロデューサー
・役職:吉本興業ホールディングス株式会社会長

1978年 吉本興業株式会社に入社
1980年 吉本興業東京支社へ上司の木村政雄と共に異動
1982年 吉本興業東京支社から大阪の吉本総合の担当社員へ異動
2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任
2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任
2002年 株式会社有明スタジオの取締役に就任
2006年 吉本興業取締役副社長に就任
2009年 吉本興業代表取締役社長に就任
2019年 吉本興業代表取締役会長に就任

まとめ・感想

最後まで読んでいただきありがとうございます

今回は、松本人志さんが、兄と慕う大崎会長に関する情報をお伝えさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか

大崎会長はこれまでの師弟関係の構図から、会社主導による育成方法を取り入れダウンタウンを育て、スターにした事がわかりました

又裏社会からの圧力には体を張り命がけで守り、プールでの約束では松本さんの健康に気遣い禁煙を要求した可能性が高い事もわかりました

現在のお家騒動の収束を願い、新たな吉本のお笑いを1日でも早くファンの皆様に届けて欲しいと思います

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